2回めの路上ライブ。前回と同じ場所で歌う。
路上に出ようと思うものの、あの時の緊張が全身を支配し、
「雨が降りそうだ」「お腹が痛い」…ちょっとしたことを言い訳にして路上に立つ事をやめていた。
結局春までに3回四ツ谷駅に立った。何も変わらなかった。
何も変化ない。ダメな自分だけがいる。目標を作った。
とにかく路上ライブを1000回やろう。1000回やってダメなら、あきらめよう。
場所も渋谷に移した。路上がさかんに行われると聞いたNHK前に立った。
人はほとんどいなかった。そこで歌った。誰も集まらなかった。
目の前に渋谷公会堂があった。沢山の人をのみこんでいた。いつかあそこで歌いたい。
外が暗くなりそうだったので、渋谷の地下街に場所を移した。
そこで歌ってる時、初めて声をかけられた。学生カンファレンスという現在の会社の社長や、
後にI WiSHでグループを組むことになるnaoさんを含むビジネスサークルの人だった。
この日「渋谷公会堂」でワンマンライブをやろうと決意した。
たくさんの仲間に支えられ、自信を持って歌うことができるようになる。
色んな事を話し合った。キーボードスタイルで歌う事。
オリジナルの曲をちゃんとレコーディングする事。みんなが全く初めての事なので失敗だらけだった。
親身になってくれる仲間ができたことが何よりもうれしかった。
はじめは足を止める人はほとんどいなかったが、口コミが広がって、足を止める人が増え、
いつしか『路上の天使』と呼ばれるようになる。
webサイト開設。準備は整っていった。
5曲をCD-Rに焼き19枚を完成。路上ライブ。NHK前に出た。5枚買っていただく。
30分歌うがほとんど人が集まらないのでハチ公へ移動。5分位で持っていた残りの15枚が売れた。
この日CDを手売りで5000枚という最後の目標を加えた。
プレスされた新しいCDを持って渋谷の路上に立つ。多くの人が立ち止まってくれる。沢山CDも売れた。
警察から「今度見つけると逮捕だよ!!」と言われる。酔っ払いにCDを落される事も…。
レコード会社の人からスカウトされ、
「テレビ番組『あいのり』の主題歌を作らないか?」と持ちかけられる。
電話でデビューが決まったことを話すと、母は安心しきったようだった。
「ごめんね、ありがとう、ありがとう…」この言葉を残して電話を切った。
これが母の最後の言葉だった。
母が56歳でこの世を去った。
余命半年を宣告されてから一年以上が過ぎていた。
昨日まであんなに元気に電話してて…、本当に何が起こったのかもうわからなかったですね。
やっぱり一番歌手になったっていう姿を見せたかったことを本当にすごい今でも後悔してますし、
お母さんがいなかったらもう歌う意味なんてないんじゃないかっておもって、
もう生きる意味を失いましたよね。
『あいのり』の主題歌として『明日への扉』が流れたのはその2ヵ月後。
半年後にはヒットチャートで二週連続1位になった。
やりきれない気持ちだった。
恵比寿ギルティーでの1stライブ。55人もの人が足を運んで下さる。渋谷公会堂はこの40倍の人が必要。頑張らないと。
1000枚まであと150枚。この日に達成したい。3回目で100枚、4回目で150枚になり、ついに1000枚。計7回行ってCDはなんと200枚達成。
初めてのワンマンライブ。78人の人が集まってくれた。
CDも2000枚達成。気温が下がり、路上はかなり過酷になる。
そんな中、ホッカイロ、カロリーメイト…、沢山の差し入れをして下さる人達がいた。
初めてのホールライブ。400人の会場には多くの人がかけつけてくれていた。
長かった1年を締めくくる最高なステージになったと思う。
“歌う”意味を改めて再確認できた。
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